出会い系のリニューアル
第9レース、館山特別(5歳900万下)の出走馬が、地下馬道から姿を現したとき、Tは変わったのだ。
それまでソワソワとしていた雰囲気が一転して、勝負師のオーラを発しだしたのだ。
すでにTとのつき合いが半年以上を経過したぼくには、その空気が何を意味するか、充分に理解できた。
「なにか、いい馬がいましたか?」聞いてみると、黙って競馬新聞にグリグリとOを打ったのだ。
もちろん条件馬だ。
この日も単勝は5番人気で、ほとんど期待されていない。
「この手の馬は、パドックで気分良くしてさえ居れば走るんだよ」ただ「2着はわからない。
ドングリの背比べ」ということで、勝負は避けたのだが、それでもぼくにしてみれば、単勝だけで充分だった。
レースは、そのマルコウィナーが大楽勝。
単勝810円、馬連は2着に4番人気が入って2560円をつけたのだった。
Tは、別にこの馬を追い続けていたわけではない。
存在すら知らなかった。
近頃は自分のネタも、生活(ほとんどが宿泊費)するのが精一杯の状況であり、競馬コーチのお客もいないとあって、競馬場に来ること自体、久々だったのだ。
これが「姿勢のいい馬」の意味の、ひとつのポイントである。
よく調教師や厩務員のコメントに「素質はあるんだが」とか「当日、落ち着いていれば」というのがある。
これと似たような意味だろう。
もちろんTの視点はギヤンブラーとしてのものであるから、調教師の言う言葉ともまた若干の違いがあるのだが、一般人レベルで理解するとすれば、それと同じと考えて差し支えないと思われる。
このように「姿勢がいい」馬は、いつどこで出現するかわからない。
Tが朝9時にパドックに立つ、その理由のひとつは、そのチャンスを逃さないためなのだ。
ミキリができるかどうか。
これが、馬読み勝負学においての天国と地獄の分かれ目となる。
よくギャンブラー気取りの人々が、こんなことを言う。
「いやね、目の前を馬が走っていると、賭けないではいられないんだ」さすがギヤンブラー、かっこいいことを言うね。
と、今までは思っていた。
ところが、こんな人間は、Tと比べれば、まだまだ半人前のギヤンブラーなのだということがわかってきたギャンブラーの血が騒ぐ、だから買わずにはおれない。
しかし最近は「こんなのは、単なるギヤンブル依存症でしかないのではないか」と思うようになってしまった。
馬読みの目的は、あくまでも競馬に勝つためのものである。
勝たないことには、いくら万馬券を取ろうが、的中率が高かろうが関係ない。
「姿勢」については、ある程度の年月を競馬に費やしてきた一般のギヤンプラーでもクリアできる問題かもしれない(Tは認めないだろうが)。
しかし「ミキリ」は厳しい。
好きなギャンブルを目の前にして帰るのである。
読者の中にもいると思う。
午前中に見事に自分の読みが当たって「今日は調子いいぞ」といい気になって賭けていたら、ズルズルと負けがこんで、結局はマイナスで帰る、なんて経験があるだろう。
Tは「そんな遊び感覚で競馬はするな」と言う。
決して遊びのつもりはない。
自分としては「勝って帰りたい」という願望は強いのだが、どうしても賭けてしまう。
ギャンブルが好きであればあるほど、その傾向は強いと思う。
それで何を思うかというと「オレは競馬を愛しているんだ。
好きで賭けているんだから、負けたっていいじゃないか」と、自分に言い聞かせるのである。
しかし、どんなに競馬を愛していようとも、競馬はテラ銭2割5分を取るギャンブルなのである。
これは逆に言えば、JRAは「投資した金額の7割5分は持って帰ってもいいですよ」と言っているのである。
ぼくなんて、競馬場に行くたびにオケラになって、夕方の4時過ぎにトポトポと帰ってくるタイプだった。
そういうとき、「オレが持って帰っていいはずの7割5分のカネは、いったいどこの誰に渡ったのだろう」などとチラリと考えたりしたものだが、今考えれば、きっとミキリができるか、あるいはレースを絞って買うGI派などが勝利していたのだろう。
それでも、そういう人々も自信を持って資金100%以上の回収が出来る人など、そういるものではない。
「ミキリ」は理論的に考えても、競馬で勝てる数少ない方法だと思う。
金銭的にも、自分の人生哲学においても、競馬に負けては生きていけない、生きている意味がなくなるT。
そんな人間にとって、楽しむ競馬など考えられないのである。
前項目で「ミキリは理論的に考えて、競馬で勝てる数少ない方法」と書いたのは、あくまでも理論的という意味である。
これが「実践」となると、ミキリは唯一の方法だと思う。
理論的と書いたのは、たとえば「勝負レースを1日2―3レースに絞る」方法でも、理論的には勝てるような気がするからである。
このことについてはTの手記に、そのヒントがあるから、そのまま紹介しよう。
雑誌『競馬王』編集部が主宰するニフティ・ステーション内に寄せた原稿からである。
《馬読みとペーパー(馬を見ず新聞などで予想してやること)の違い一般の場合は、毎度やらず、レースを絞ること。
自信のあるレースを3レースぐらいやること。
これが理想(基本)とされている。
それに対して、馬読みの場合は、馬が見えた(読めた)時が勝負であるから、自分で狙いレースを決めることは出来ない。
つまり、チャンスはいつやって来るか分からないので1レースから(的中するまで)やることになるミキリについても、一般の場合は、最初から買うレースが決まっており、数も少ないこともあって、ミキりというものがない。
が、馬読みの場合は1レースからなので、的中した時点で勝負は終わりになる。
ギャンブルで2回続けて当てようなどというのは、虫の良すぎる考えだ。
当ると思うのは(実際あたったとしても)幻想にすぎない。
いまひとつ問題なのは、馬読みは、パドックでじっくり馬を見ることが出来るかどうかが、最大のポイントということだ。
遅くなればなるほどパドックは混雑してくる。
そうなると、もう馬を見ることが出来なくなるという物理的なことがあって、見切るのだ。
なお余識だが、ペーパーと違い(ペーパーファンには申し訳ないが)馬読みで的中すると、もう完全燃焼してしまうのである。
そして、最大の違いと言おうか、馬読みの利点は、馬が見えた時、命を賭けた勝負が出来ることだ(つまり、同じ的中でも中味、内容が違うということ)。
手前味噌で恐縮だが、最近の1年間でも『全財産勝負』『1億円レース』(私の造語)というのが5回あって、もちろんパーフェクトに的中している。
もしこれを外していたら(人に教えている)競馬はもとより麻雀プロ生命も絶たれ、馬読みが幻想となれば生きて行く価値までなくなってくる。
これが私の命を賭けるということなのである。
もちろん、こういう事は人に薦めることは出来ない。
それどころか、ギャンブルなどやるものではないと言いたい。
やったとしても、5千円以内と決めて遊びでやることだ。
が、勝とうと思うなら、腰を引いてやるな、勝負をやるからには(どんなネタでも)腰を据えてやることだ。
本当の勝負とは、全財産か生命を賭けることである》これはペーパー派との違いという点で「ミキリ」を取り上げてあるが、いずれにしろパドックで馬を見抜く能力があるかどうかが、ポイントとなる。
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